2012年9月末頃 [星になった少年]は数学の授業で陰湿な指導を受ける
1年生の秋から2年生の2学期まで大きな指導もなく充実した日々を過ごして
いた[星になった少年]であるが、数学の授業で課題をやりおえた後に目をつむっていた。
| ( 数学教師Zは、[星になった少年]に声をかけることもなく、机上にあった[星になった少年]の下敷き、筆箱を教室の後ろのロッカーに隠した。) |
| 課題の演習時間は終わり、採点の時間となった。 |
| [星になった少年]君、丸つけをして下さい。 |
| ...? (筆箱が見当たらず困惑) |
| (あわてて、)合ってます。 ([星になった少年]は、クラスメイトに赤ペンを借りて丸付けをした。) |
授業後、[星になった少年]は、数学教師Zの指導に対し「あいつ意味わからん」と憤慨していた。
数学教師Zの指導とも呼べない、不可解な振る舞いは何を意図しているのでしょうか?
[星になった少年]は、クラスメイトの前で、
はずかしめを受けています。
私には、生徒の嫌がることを、故意にしているとしか思えません。
人の嫌がることをすることを
「いじめ」といいます。
先生と生徒の間なら
「パワハラ」と呼び、子供の
人権侵害にあたると思われます。
数学の授業でこの指導を見た生徒から「陰湿で授業中に生徒をクラスの笑い者扱いにして怒る。」という証言があります。
また、数学教師Zは、この指導について「前の学校では皆でそっと席を移動してそれを楽しんだりっていうノリもあったりとかして、その時は、こうなっているから今この事が事案として上がってきているけど、その時は
普通に問題意識とか持ってなく、別に彼だからっていう事では無くて普通のノリでやったと思う。」と話していた。
生徒の証言と数学教師Zの発言の差は、いじめ問題でよく言われる加害・被害間の体験の差と同様に感じました。
軽い気持ちでしていることが、されている側には大きな心の傷になっていることもあります。
指導における「つもり」と「結果」のギャップに意識が足りないのではないのでしょうか?
なお、第三者委員会は、この件について事実の一部を付記したのみで、報告書の検討範囲から除外しています。