プロローグ
「指導死」不適切な生徒指導の根絶へ

事件当日の朝

[星になった少年]は、東広島市の中学校に通う中学2年生、野球部に所属していた。
野球が大好きで笑顔が絶えない快活な少年。
友達が多くてクラスのムードメーカー。
いじめとは無縁の生活を送っていた。
家庭でも父親とバッティングの練習やキャッチボールを楽しんでいた。
事件当日の朝、新調した靴を履き気持ちも新たで、「行って来ます。」といつもと同じようにと大きな声で挨拶をして家を出て学校へと向かった。

天への旅立ち

その日は、さわやかな秋晴れであった。
夕方、下校時刻を過ぎても家に帰ってこない[星になった少年]。
心配した母親が学校へ迎えに行った。
その途中、母親は、[星になった少年]の友人に会い、「野球部で指導を受けているかもしれない」と聞いた。
母親は学校につくと[星になった少年]が帰宅してこないことを伝えた。
対応に出てきた野球部コーチの言動は、「大丈夫ですよ!どこかの公園で一人座って考えていますよ」という危機感の無いものであった。
この状況を知った教頭先生が、[星になった少年]を探すよう教員へ指示した。
その後、[星になった少年]は、中学校の近くにある公園で発見されたが,既に天へと旅立っていた。

学校で何があったのか?

その日、[星になった少年]は、休憩時間に数人の友達と美術の授業で使用するカボチャで遊んだ。
そして、友達のうけをねらい廊下に友達のカボチャを置いた。
そのカボチャを見つけた数学教師は、カボチャが棚の上に整理整頓されていないことが気になり、カボチャを置いた[星になった少年]の指導を始めた。
数学教師によると[星になった少年]は、直ぐに自分が置いたと言えなかった。
この間、数学教師の指導は、[星になった少年]が「カボチャで遊んでいた」ことから「嘘を付いた」ことに変わっていた。
[星になった少年]は、数学教師の指導に反抗することもなく素直に応じたが、その後担任の先生、野球部コーチ、野球部顧問からも指導を受けることになった。
大切にしていた部活動では、野球部コーチには「部活をする資格がない」、「グランドに来る必要はない」と強く叱責を受けクラブ活動も禁止されてしまった。

サイトの目的

[星になった少年]はなぜ、天へと旅立ってしまったのだろうか?
不適切な生徒指導があったのではないのだろうか?
文部科学省の生徒指導提要には「生徒指導とは、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のことです。」と定義してある。
この定義が、教育行政や教育現場に浸透してなければ、単に美辞麗句を並べただけのものになってしまう。
本サイトは、事実を追究し教育行政の改善を求め、児童を持つ親御様へ警鐘を鳴らすことを目的とする。
また、心ある教師のみなさまの啓蒙に役立つことを願う。


指導死とは

「指導死」親の会代表世話人 大貫隆志さんの定義

「指導死」(出版社:高文研) 大貫 隆志 (著, 編集)より引用
生徒指導をきっかけとした 子供の自殺「指導死」の定義
  • 一般に「指導」と考えられている教員の行為により、子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められ、自殺すること。
  • 指導方法として妥当性を欠くと思われるものでも、学校で一般的に行われる行為であれば「指導」と捉える(些細な行為による停学、連帯責任、長時間の事情聴取・事実確認など)。
  • 自殺の原因が「指導そのもの」や「指導をきっかけとした」と想定できるもの(指導から自殺までの時間が短い場合や、 他の要因を見いだすことがきわめて困難なもの)。
  • 暴力を用いた指導が日本では少なくない。本来「暴行・傷害」と考えるべきだが、これによる自殺を広義の「指導死」と捉える場合もある。
「指導死」に関する記事

【指導死とは】~大貫隆志氏に聞く~ 三上英次氏

「〈指導死〉親の会」の大貫隆志氏が、【指導死】について語っています。
[JanJanBlog 記事 2012年 11月 21日]

【指導死】シンポジウム ~語られた9人の子どもたちの死~(前)  三上英次氏

教師による“指導”が原因で子どもを自殺で亡くした保護者らが作った「〈指導死〉親の会」が開いたシンポジウム(2012年 11月 17日)についての記事です。
[JanJanBlog 記事 2012年 11月 21日]

【指導死】シンポジウム ~語られた9人の子どもたちの死~(後)  三上英次氏

教師による“指導”が原因で子どもを自殺で亡くした保護者らが作った「〈指導死〉親の会」が開いたシンポジウム(2012年 11月 17日)についての記事です
[JanJanBlog 記事 2012年 12月 17日]

指導における「つもり」と「結果」のギャップに意識を

「指導死」(出版社:高文研) 大貫 隆志 (著, 編集)より引用
 「指導」を受けている子供たちの声は、「指導」をしている教員に届いているのでしょうか?
「軽い気持ちでしていることが、されている側には大きな心の傷になっていることもある。
これは、いじめ問題でよく言われる加害・被害間の体験の差です。
加害側は遊んでいるつもりでも、被害側は深刻なダメージを受けているという意味です。
「指導」でも同じことが起きているのではないのでしょうか?
 いじめによる自殺でも、「いじめられたくらいで自殺するのは、その子が弱いからだ」といった事実に基づかない、単なる感想レベルの意見がまかり通っています。
こうした姿勢が、いじめ自殺の防止を妨げている要因の一つであることは、いじめ問題の専門家の間では常識となっています。
 自殺原因を被害者個人に求めることは、本質的な課題をみえにくくすることにつながります。本質的な課題とは、いじめる側の問題です。
いじめる側のいじめ行為をいかに抑止するか、ここが重要です。
同じように、指導をきっかけ、あるいは原因として子供の自殺が存在するなら、指導のあり方を丁寧に検証する必要があります。
そしてもし、原因、またはそれと想像できるものがあれば指導方法を再検討すればいいだけです。
「生徒のためを思ってしてる行為だから」というのは言い訳になりません。