星になってから 第三者委員会記者発表
第三者委員会  記者発表>
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平成25年9月4日 吉中委員長の記者発表コメント

それでは、これから生徒の死亡に係る調査委員会報告書についてお話をさせていただきます。
平成24年10月29日に発生しました東広島市立中学校生徒の死亡にかかる調査委員会において、本日、11:30に東広島市教育委員会教育長に調査報告書を提出いたしましたので報告させていただきます。
なお、報告書自体は、ご遺族が公開を望まれていないため、本日は口頭でその概要を報告いたします。
まず、調査委員会の立ち上げについてでございます。調査委員会については、本事案にかかり、当該生徒。これからA君とさせていただきます。が自殺に至った経緯及び背景等を明らかにするとともに、再発防止に向けて提言することを目的として、昨年12月7日に第1回の委員会を開催し、以降、調査・協議を重ね、今年5月28日の第9回をもって委員会を終えました。その後調整を図る中で本日、報告書を提出いたしました。
 その間、関係者への聞き取りや、関係生徒、保護者及び教職員へのアンケート実施など、広く情報収集をし、中立・公正に分析評価を行いました。
また、ご遺族へは、調査委員会の協議が終丁する度に、随時、調査の状況や今後のスケジュール等について報告・協議を行ってまいりました。

次に、自殺に至った背景要因でございますが、本調査委員会としましては、A君が死に至った背景・要因は、学校の指導を含め様々な事情等が複雑に関係しており、その一部だけが決定的要因になったと特定することは困難であると判断いたしました。
 しかしながら、全体として見ると、当日の一連の指導と自殺の発生との間には、他の目立った介在事情、他の事情は確認することができず、自殺の発生がこの一連の指導と関連性を有することは明らかであると思われます。
但し、関わった教員達の多くが、指導を受けて涙を流している姿や落ち込んでいる様子を認識しているものの、通常、そこから死の発生までを現実的に予見できたかという点については、連携不足や洞察力不足等といった問題を事後的に指摘できるとしても、当時の教員達にとっては困難なことであったと推察されます。

 こうしてみると、一連の指導は、生徒指導上必要であったにもかかわらず、その方法において、指導体制や教員間の連携、特に生徒の心情に寄り添い、元気づけるフォローアップ体制と指導した経緯と結果の共有化を図るというフィードバックが不十分であったことや、個別の生徒の理解を踏まえた指導となっておらず、生徒・教員間に誤解が生じており、結果的に当該生徒の納得が得られる指導とはならなかったといえます。
 自殺は、こうした様々な事情等によって追い詰められた状態となり、絶望し、責任を感じたA君が、それ以前に仲間にSOSを出していたものの最後まで誰にも相談することができず、また、教員から生徒の心情に寄り添い、生徒の悩みを打ち明けさせるような指導が行われなかったために、心理的視野狭窄状態つまり、心理的に視野が狭くなるという状態となり思考停止状態に陥り、これは、他の事が考えられなくなるような状態であろうと思われますが、陥り、自分なりに決着を付けようと考えた結果もたらされたものであると結論づけました。

 最後に、私の思いとして、今後、A君の死を風化させることなく、二度とこのような悲しい出来事が起こらないように願うとともに、先生方におかれましては、引き続き、指導すべきところは躊躇することなく指導してほしい、ただその際に、児童生徒の内面を十分に理解した上での指導を行ってほしいというふうに考えております。
なお、報道各社におかれましては、御遺族の心情に十分配慮した報道をお願いいたします。
 心よりA君のご冥福をお祈りいたします。
 以上でございます。
委員長Q&A>
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平成25年9月4日 吉中委員長の記者発表 Q&A

記者の質問吉中委員長の回答
【NHK】
追いつめられた結果とおっしゃっていまいしたけど、何をもってどういう事からそういう結論を導き出されたのですか。
はい、当日の指導が先生方によって行われた訳なんですけれど、その過程の中である意味、逃げ場を失ってしまったと言うことがあります。
特に、当日のこと(指導)をさしています。
逃げ場を失うような指導が行われていたという事ですか。  先ほど申し上げたように、やはり、適切な理由に基づいて指導を行う際にも、その(指導)フォローアップというものが十分なされていなかったと思っております。
【朝日新聞】
フォローアップとかフィードバックあるいは教員間の連携が少し足りなかったという事は、具体的にどのようなフォローアップをしていれば防げたのか、委員会で検討されてますか。
委員会では、指導した後のフォローアップやり方、声掛けの仕方等々についても十分議論をしている。
教育の専門家の先生、心理の専門家の先生もいらっしゃいますので、こういった場合には、こう言う声掛けをした方が良いのではという議論はやっている。
報告書の中の提言というのがあり、そちらの方で具体的にどういう形で指導していくべきなのか、その体制も含めて学校・教育委員会等に対して提言という形で述べています。
市内の小・中学校対象に報告書は公開ということですけれども、提言は公開するという形ですか。 教育長に今日(報告書を)提出いたしました。私たち調査委員会のミッション、責務は、教育長に提出して、これを今後の教育に役立てていただきたいということです。
是非、この報告書を十分検討していただいた上で提言を活かすような教育をしていただきたい。
他の学校にも提言の部分をしっかり読んで前向きに検討していただきたいと思っています。
【読売新聞】
自殺の原因が指導によるものは明らかとなっていますが、指導と自殺の因果関係があると認めつつ、その指導は正当且つ適正であったとはどういうことですか。
指導の契機となる部分については適切な理由に基づいて行われていることは調査委員会一同、一致しています。
ただ、方法、やり方や個々の先生の指導する際の声掛け、そしてその後のフォローアップもございますし、先生間での連携の問題、取り方に共有化のやり方、そういったところにやはり少し要因があったのかなと考えております。
【中国新聞】
指導と自殺に至った因果関係を認めたということで良いでしょうか。
はい。そうだと思います。
今日出された報告書の体裁を教えていただけますか。サイズであるとかページ数であるとか。 サイズはA4で、ページ数は30ページです。
先ほど、指導と自殺との因果関係を認めたということですが、ご遺族が要望されていた指導によって追いつめられたことによる指導死という言葉は(報告書に)使われたのでしょうか。 報告書の中では使っていません。指導死という言葉の定義が確立していない事が一つあります。
教員の指導によって死に至るという部分と捉えていますが、使っていない。
また、今回の事案については教員による指導が全ての特定要因となって起こったものと断定できないので指導死という言葉は使っていません。
指導と因果関係はあったけれども、それだけではなかったということでしょうか。  因果関係というものは、ある出来事が起きる時に色んな因果関係がありうる訳です。
指導とその結果との間の因果関係というのはあると思います。
これは、一連の指導の直後に自殺は起こっておりますから、その間に何か時間が空くとか、別の介在事情が入ってきたなど、囚果関係が中断されるとかそういった事情が認められていませんので、これは、(因果関係が)あるという事です。
ある(因果関係)がそれだけと断定できないので指導死という言葉は使っていないという事ですか。 もう一度申し上げますと、一つは指導死という言葉の定義が我々にも良く分からないところがありますし、何を持って指導死というのか「あやふや」ですので、そういう言葉はまだ使えない。
我々の調査委員会の中でも指導死という言葉は出ていますが、定義がしっかりしていないという事になりました。
もし、指導によって自殺を行ったという1対1の関係のものであれば言えるのかもしれないが、それだけではないだろうという結論になった。それは、指導だけが原因ではないと考えているという事です。
【NHK】
指導だけが原因ではないというのは他にどういうことが考えられるのですか。
この件については、最初に申し上げておくべきかもしれませんが、まず、この報告書は非公開です。この報告書をまとめるにあたっては、アンケートや実際の聴取をこれは誰が言ったのか分からない形、秘密を守る形で聴取を行っております。
その過程の中で、指導の問題というのは明らかに外に出てきているのですが、その他の事情というものに関しては調査委員会では確認していますが、秘密保持観点や関係者のプライバシーの問題もあって、コメントはお答え出来ないところがあります。
 指導は契機となる部分は適切だったかもしれないが、その方法とかやり方とか先生の声掛けが、不十分だったといわれましたが、何故、そういう(指導)ふうになったと分析されていますか。
何故、適切な方法なり、声掛けを先生ができなかったのか。しかも、一人ではなくて多数(の教員)です。
やはり一番大きな原因というのは連携不足という事ではないかなと思います。
教員間で一人の生徒さんを指導する時に連携をしっかり、情報共有していくとかがあれば、もう少し違っていたのではないかという思いはあります。
一人一人の先生の指導の方法なりにも適切でない部分もあったという意味にもとったのですけどそうなのですか。 はい、はい、それはそうです。はい。
連携もあるし、一人一人の先生も そういう意味で、個々の先生方それぞれが与えた力は弱いかもしれませんけれどもそれぞれの先生方の小さな見過ごしであるとか生徒の心や心情に寄り添っての声掛けとかが合わさっていき、複数の先生が指導されていますので、そういったものが合わさった。
しかしながら指導される側は一人ですから、色んな先生に言われているという事はあると思います。
【読売新聞】
複数の先生の指導でA君が追いつめられたという認識でいいですか。
そうですね。当日の指導としては複数の先生が関わっていると言うことになります。
4人の先生が当日、29日に指導している時にかなり厳しい言い方とかして、そう言うことがあって追い詰められたのではないかと想像しています。
それと、ご両親から聞いたのですが、野球部の顧問から「グランドに来る必要はない」と、それも机を蹴りながらだったと聞いたんですけれど、これは事実ですか。
 このあたりは、報告書に書いてあるところなので、どこまで申し上げていいのか迷うが、一応そうですね。
机も蹴っているのですか。 はい。
【TSS】 委員会として今回の指導に行き過ぎた部分があったと認められるのかどうか。
また、もし、あったとすれば先ほど机を蹴ったというような事実が認められるのがありましたけど、そういった部分のことを指しているのか?
どういう事を行き過ぎというふうに言っているのか?
行き過ぎという言葉は、私は使っていない。行き過ぎというよりも、むしろ、指導されるに当たって契機があり、それに基づいて指導されているけれど指導の仕方、それ自体が、例えば、多少きびし目の言葉を使っている事もあろうかともあろうかと思いますけれど、我々の認識としてはその(指導)後のフォローが非常に大切であったのではないかという事です。
そこで、例えば、いけないことは「いけないよ」と先生方も指導しなくてはいけない。
するべきところは指導することも正しい事だと思いますが、その後にやはり思春期のお子さまですから、傷つきやすいことも考えられる訳ですから、しっかりとその後のフォローをしていただくと、そういう事があれば違っていた。
ですから今回の件に関しては、複数の先生が関わっておられるのですが、フォローアップというところが少し不十分なところがあったと思っております。
フォローアップとは例えばどのようなことなのですか。
(求められる)フォローアップの内容は何ですか。
 例えば、問題行動があったら、「それはいけない事ですよ」というメッセージを発します。
その後で、 「なぜこれが悪いことと思いますか?」という声かけをもらいながらです。
おそらく、私は教育の専門家でありませんが、生徒さん自身に問いかけをしていく中で今回起こった問題をしっかりと自分で受け止めるように声かけをして、自分の口から解決策なり、どうしたらいいと思うという形で答えを導き出して自分で「これからこうします。」いう形での指導。
「自分で決めたことだからやっていこう」とう形で応援していく。
誰しも間違いをおこす人間ですから、それを契機に捉えて教育の場にしていく、そこから学んでいく形でのフォローアップが出来ていればという想いがあります。
報告書は両親には渡してあるのですか。 ご両親には報告書案として提示させていただいています。
同じではないのですね 教育長に渡したものが一番正しい報告書で、それ以前にご遺族に提示しながら、この部分は訂正して欲しいと細かいことを含めて協議を重ねて参りました。
内容はほぼ同じと考えていいですか そうです。大きなところでは変更はない。
ただ、ご遺族の意見を受けた上で、一部報告書に反映させた部分はあります。
【広島テレビ】
 指導とかフォローアップという言葉が出てきたが、ピンとこない。例えば、こんな指導があったからこうなった(自殺した)といったものを教えてほしい。
新聞報道等で出ている部分ではあると思うのですが、中国新聞等でも出ている件です
例えば、かぼちゃが廊下に置いてあったという事で、他の生徒さんのかぼちゃが(廊下に)あったので、それが「いじめ」に繋がるとして、例えば本人が置いたのでなければ、他の子どものかぼちゃを移動してそこに置いているかもしれませんから指導される先生としては、それが、誰かが「いじめ」でやっていると思うと思われます。
ひょっとしたらそれが見えない「いじめ」なのではないかという点については調査委員会としては、先生が指導された契機としては、適切で、やはり人が歩く所、その真ん中にかぼちゃが置いてあれば指導するのは当然だなと思っている。
ただ、その後に、何故、その何が悪いのかといったことについての適切な指導を求められていた。
ただ、十分にかぼちゃが置いたことが、何故、悪かったのかという指導にはならなかったとうことがあった。
他社の報道を基にそれがこうですというふうに書けないので先生の方から実際、どういう事があって、それに対してどううだったのか教えていただきたい。 ですから、休憩時間にかぼちゃが廊下に置いてあり、それを「これは誰のかぼちゃか」という形で先生が聞かれる訳です。
彼が置いたということが分かったのですね。 そうですね。
 A君は問題行動が多い子どもだったという認識ということですか。 そうは申し上げておりません。かぼちゃの一件が、その日にあったということだけで、それ以上、問題行動が多いとは私は申し上げていません。
それが誰であれ、例えば初回であり、3回目であり、4回目であり同じことですから、そういう状況を見た先生が指導されるというのは何回目でも変わらないと思います。
そう思われませんか、廊下にかぼちゃが置いてあって。
かぼちゃというのは食べるかぼちゃがそのまま置いてあったとう事ですか。 普通は、もし、かぼちゃがここに置いてあれば不思議におもわれますよね。
それに対して、複数の教員が指導したということですね。 契機はそうですね。
契機はということは、違うこともあったという認識ですか 指導が、かぼちゃを置いてあったということが、いじめに繋がるのではという事から先生は指導されたのですけれど、その時に、A君の答え方、返答の仕方が先生から見て、適切とは思われなかったという事あった。
答えられ方、答え方にだんだん指導の中心が移っていって、そもそものかぼちゃの件について、指導が、ある意味、最初のところからいくと、ズレています。(ズレた)指導になっていた可能性があります。
【読売新聞】
10月29日当日のかぼちゃの件で指導されて、複数の先生で指導されたというのが要因の一つだと思いますが、それ以前に、中学校1年の時には別室で作文を書かされる指導を受けたり、ほうきの事件がありましたよね、そういったものは直接関係がないのですか。
1年生の時の指導については、1年生の11月に特別な指導という形で受けることになりまして、そこでしっかりと反省文を書かれ、それから約1年後の10月29日の事件に至るまでは特に目立った行動はなかった。
先生方は、確かにそういったことがあったかもしれないけれど、その後、非常に部活や学校生活を意欲的に取り組んで、もう大丈夫という形で指導されてきた。
我々としても小学校の先生にも中学校1年生の先生からも聴取させていただいております。その事と今回の事件を結びつけるというのはやはり難しい。
それはまさに、先ほど一連の指導の直後に自殺が起こったということがありました。
やはり、1年前にそこからかなり意欲的に学校生活が送れるようになって、その後の事について、それはそれとして自体は把握しておりますけれど、自殺に至った経緯の問題としてそこを結びつけるというのは、これは議論いたしましたが、調査委員会の中でも難しいだろうという事になりました。
A君が中学校の先生に目を付けられていたということはないのですか。
些細なことで彼だけが注意される。
そういった事は無かったのですか。
先生方からの聴取からは、そういう事はないと認識しております。
ただ、これはA君がどう感じていたかは分からない訳ですけれど、ひょっとしたら、自分だけが何故指導を受けるのかという形で、納得していないものを感じていたという可能性は考えられることです。
聞き取りで教師は、無いと言っているのですか直接彼をターゲートにしてたという事はないと。 無いです。
【NHK】
教師は、大人でもありますし自分に都合の悪いことは言わないと思います。
目を付けられているといったことがあったのか。
 子どもたちにも幅広くアンケートをとっております。特にA君が目を付けられてるというのではないかとA君に非常に近い子はそう言った。
これはあのアンケートの情報に関わってきますので非常に難しいですけれど、両方あったというふうにご理解ください。
そうであるという意見もありますし、幅広くアンケートをとるとこれは両方あります。
A君だけがという事ではないそうでないという事で答えを書いた方もいます。
我々としてはそれらをやはり、その例えば、ある方はこういうふうに思いたいという気持ちを理解することができるというものを調査委員会として中立公正に考えないといけないので一方の生徒の言ったことをつかまえて、そうであるという結論を最終的にすることは出来ないというふうに思っております。
それは、教師側が「無かったと言っています」という事は信用されて採用されている訳ですよね。 生徒の方も同じような意見もある訳です。
生徒さんからA君だけが目を付けられていたという意見もありましたという事でいいですか。
教師は無いと行っていますが。
生徒さんもだから目を付けられていたのではないかという意見もあればそうではないという意見もあるのです。
先生はそうではないと言っています。
その時は、幅広くそれが本当はどうだったのか他の生徒さんからも聞き取りはされているのですよね。 はい、直接しています。
両方の意見があったということですよね。 そうですね。
かぼちゃの件ですけど、そもそもそんな目くじらを立てて怒るようなことなのですか。
よくあるいたずらであると思われます。いじめを疑ったのであれば、持ち主の子に丁寧に話を聞くという手法が取られるべきであって、答え方がどうだという話に集約するものでは無いですよね。
はい、はい。先ほどの繰り返しになるかもしれませんが、契機としては「いじめ」を疑ううえで指導に入られると思う。
ただ、答え方がどうだとか別の話になっていくというのは指導のやり方としてはおかしいのではないかと申し上げたつもりなんですが・・・。
いじめを疑っていたらそういう指導にならないと思うのですが、本当にこの先生はいじめを疑っていたのですか。 そう思います。
この先生は聴取の中で「いじめを疑っていた」と言っているのですか。 聴取の内容というのは秘匿なもので先生がそう言うふうに言っておられるという問には答えられないですけど、調査委員会としては先生も含めいろんな先生から聴取したうえで、その当該の先生がいじめを疑って指導に入られたという判断をしたということです。
まとめた立場から今後、先生達にどういう事に気を付けて生徒指導をして欲しいと思っていますか。
例えば、先生の言葉の重さを自覚して欲しいとか。
生徒の心情に寄り添って、内面を十分に理解して、各生徒さん一人ひとりに癖がありまして同じような声かけでも感じかたはそれぞれ生徒さんによって違いますから個々の生徒さんの個性に応じて内面に寄り添った指導をして欲しいというふうに思っております。
  【副委員長】
先ほど、NHKさんの方からかぼちゃでいたずらをさたという事がありました。
私の方ではで、かぼちゃを廊下に置いて遊んでいたんだという理解をしていたという理解をしております。
その点は、各社とも書かれる時にかぼちゃを廊下に置いて遊んでいたと理解をしていただければと思います。
【朝日新聞】
今回、委員会の中でどこに責任があるかの所在についての言及されたのかという事と、再発防止が出来るのか、出来ないのか、というところをお話ししていただきたいのですけど。
1点目の責任の所在がどこにあるかという判断をしたのかという事については、設置要綱、目的、調査委員会の主旨からしまして、どこに責任があるのかという事は我々、裁判所ではないので責任の所在を追及するものではない、判断することが目的ではない、犯人を探すのが目的ではない。我々にはできないので責任がどこにあるのかという事はやっておりません。
2番目の質問で、重心としては2度とこういう事が起こらないように再発防止に向けた提言を行いたいということで、特に提言のところには意をつくして報告書を書き上げたつもりですけれど、出来るのかと言われますと将来のことなので絶対に起こらないとだれも断言できないと思いますが、一応、ここに掲げられた提言をしっかり受け止めていただいて従った方法で指導を行っていただければ、かなり、私たちとしては、こういった不幸な事件を減らすことができることができるのではないかと考えておりますし、またそうでなければならない。
そうでなければ、今回の教訓が何も活かされないという事になりますからそういう事が無いように切に祈っています。
【NHK】
遺族は非公開にして欲しいという事なので納得をされていないと思っているのですが、この調査委員会としてはこれで活動終わりという事なのですか。
私は両親が納得していないとは言っていない。
設置要綱に従ってミッションを果たす。
教育長に提出したことで一応我々に与えられた任務は終わったと思っている。
もちろん、まだ事件そのものが解決したところではありません。
【中国新聞】
中身の体裁を先ほどA4版30ページとおっしゃてたんですけど、その提言があるのと何部構成で、どんな内容というものを教えていただけますでしょうか。やっぱ彼の当日の行動について一部立てているとか教えていただけますでしょうか。
3章構成。非公開なのでここだけにさせていただきます。
1章は調査委員会の立ち上げについて。
2章は分析評価を行っています。
3章で自殺防止に対する提言となっております。
【広島テレビ】
教員がいじめを疑っていたとあるがA君がいじめをしている側という認識でいいですね、受けている訳でなくて。
それは分からないですね。
つまり、そのかぼちゃが置いてある事件からA君がその被害者なのか加害者なのかどちらもあり得たと思うのですね。
先生は分からないですよね。
かぼちゃを見たら、まず、誰がやったのか、まず、それを調べないといけない。
そこには、A君が関わっていたという事だった。
A君が被害者なのか加害者なのか。
最初、これがいじめに繋がるのではないかと認識を持たれた先生の段階では分からないと思います。
  【副委員長】
ですから、一般的にかぼちゃで遊んでおったとそこへ廊下にあったのを委員長が言われたように、一般的に先生がこういうところにこういう所にこういう物があればその人の物を持ってきて置いてあるのではなかろうかという事で基本的にいじめに結びつくとこういうふうに結びつくと考えられたとこういう事ですね。
それのどこがいじめになるんですか。 誰がどうしたということは抜きにして。
A君がやった。他の者がやったと言うことではなしに一般的に。
これは、美術の実習で使うために個々の生徒が持ってこられ、その中で一つのかぼちゃが廊下に置いてあると、普通、持ってる本人が自分で自分のかぼちゃを置くこともあるかもしれないですけど、考えにくいので、誰か「いじめ」られる子がいてその子のかぼちゃが誰かによって置かれているのではないかというふうに思うのは先生の立場としては私は当然だろうとおもうのです。
誰か他の者が持ってきたのだろうと思う。
そこに置いてあった物というのはA君の所有物だったのですか。 そうでは無いです。
そしたら、そうではない子(A君)が「いじめ」ている側という認識じゃないですか。
という事は、持ってきたという行為をしたであろうという方がいじめている側になりますよね。
それを「いじめ」というふうに考えるとですね。
先生はそういうふうに思った訳ですよね。 先生はそう思ったのですが、結論的にはそれは「いじめ」ではなかったという判断です。
全体としていじめ自体はする側、される側含めて無かったという認識でいいのか。 はい。先ほど副委員長も言われましたけど、かぼちゃで遊んでいた。
生徒同士が遊んでいて先生が「いじめ」があるんじゃないかと思われたということでそれを契機にして指導に入られたという事です。
契機としてそこで指導に入るということはいじめる側として認識が強かったという事になるのかなと思いますが。 誰がですか。
教員はA君がいじめている側だという認識を持っていたということでは かぼちゃを発見した時点ではA君も誰も居ない訳です。
そこに居ないのにこのかぼちゃが置いてあるからA君がいじめた側だというふうに思えないですよね。
そこで、犯人捜しはしていないのか。 それは誰が置いたのかと聞いている。
最初からいじめの当事者がA君であるとか被害者がA君であるとか判断はできないですよね。
それでそのA君が置いたという話になった訳ですよね。 はい、そうです。
そしたら、初めて「いじめ」という3文字が出てくる訳ですよね。 かもしれない。
そしたら、いじめている側という認識をもっているということになりますよね。 ただ、それはすぐに否定されますね。 それは置かれた側と置いた側の子が先生のところへ出ていって話をしていますので、それは「いじめ」では無くて遊んでいたんだという事に結論づけにはなっています。
教員がどう思ったかの話しなのですが、教員が「いじめ」と思っていたのではないか。
A君がいじめている側だという認識を持っていたのでは。
そうではないと思う。
これは、A君に関わらずいじめというものがあったら指導しに入らないといけないので、いじめによって行われたものではないかという形で指導に入られました。
そしてA君が置いたという事が分かりました。
しかしそれは、置かれた側の子も一緒に話をしてふざけて遊んでたんだということになりましたので、契機はそういう形で指導に入られた訳ですけど結論的には「いじめ」という認識はその先生もされていないです。
だから、「いじめ」というものは無い、この件に関してはですね。
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